鳥湖八景
弁天の夜雨
弥彦の清嵐
中州の落雁
大匂の帰帆
清里の夕照
皆応の晩鐘
上沼の秋月
小張の慕雪
を指して言うそうな。
どっから見た鳥屋野潟のことなんかわっかりゃせん。
平成22年度第8回水辺とみなとのまち部会(報告)鳥屋野潟の学習会で
元信濃川大河津資料館長の五百川清さんが講演要旨で使っただの、
鳥屋野潟調査と課題の整理(案)景観には出てくんだけどね。
笠原一朗先生の『かくして鳥屋野潟は残った』鳥屋野潟研究会 2003 や
宮村堅弥氏の『鳥屋野潟賛歌』鳥屋野出版 1985 あたりにも出てこんもん
せいぜい馬場泰治氏が「市史にいがた」2号(1988.3)に書いた『幻の鳥屋野潟公園計画』(pp.16-35)ぐらい?
それでも“鳥屋野潟八景”で出典が『鳥屋野潟開発懇談会』(案内)亀田郷土地改良区所蔵
結局、行きつく先は亀田郷土地改良区かよと