尾台榕堂から石黒忠篤、本多文明まで
尾台榕堂。十日町市に生まれ、江戸で医学などを学んだ。
いったんは故郷に帰って開業したが、10年後に江戸へ戻り、
師の家を継ぐ。著書も多く、日本における漢方医学の基盤を築いた一人とされる。
てなことをネットのお友達から知らされる。八丁堀界隈に記念碑がたってるとか。
一昨年、全集が出てんだな。もちろんうちも持ってるけどさ、郷土資料として。
そういや先週かなぁ、石黒忠篤について聞かれたことを思い出す。
この人は時代も幕末から明治にかけて活躍した人で若干違うけど、
小千谷市の出身。何でも乃木将軍の時代の軍医だったとか。
ついでに本多文明のことも聞かれた。この人は新津の出身。
聞かれた時、ヨミや漢字が違っててちょいと苦労したけど、
困った時の蒲原宏先生で、『新潟県医学史覚書』新潟雪書房 1993