新潟大火(1955)→東堀・西堀の埋立→新潟国体・新潟地震(1964)
まぁ最近東堀や西堀の再生の動きが活発になってきてますけど
ソウルの清渓川(チョンゲチョン)復元事業なども参考にして
でも意外と新潟地震(1964)のせいで埋め立てられたと思われてる方もいらっしゃるようで
新潟大火(1955)後の復興まちづくり計画によって、昭和30年代延々と東堀・西堀・他門川
の埋め立てが続いていたんですね。
その後、新潟国体(1964)への利用やその後の一方通行規制へと続く道筋が
『新潟の堀と橋』新潟市 2001