経堂
世田谷区に経堂(きょうどう)というところがある。
関東で生まれ育った方や大学・就職で行った方なら
いざしらず関東とは全く無縁な私には知る由もない。
ただ小田急の沿線ねぐらいの。
ここの地名の由来を尋ねる質問が飛び込んだ。
いつからだって。
結局、角川や平凡社のツールを使ってもはっきりと
したことは判らなかった。
でも、江戸時代から使われていたことは間違いない。
幕府から「経堂在家」を領地としてもらったという
記録も残っている。
その諸説がなかなか面白いのでざっと紹介しておく。
1)中国から帰化した医者が、僧を迎え、福昌寺を
開いた。その人の医学書が村人たちにはてっきり
経典が置いてあるものと勘違いされ、その医者の
屋敷が経堂と呼ばれるようになった。
【出典】『新修世田谷区史』
2)開墾期のお堂が関東では珍しい京風の造りだっ
たため。実際、江戸期の『田園簿』という資料に
は、「京堂在家」として登場する。また「京道」
と表記されていることも。
【出典】『新編武蔵』
3)経典を納めた石室の上に小堂が建てられたから。
【出典】『新編武蔵』
ちなみに経堂は昭和7年に世田ヶ谷区になるまで
「経堂在家」だった。以後、「経堂町」となり、
昭和40年代の住居表示変更により細分化された。
お尋ねの明治38年、日露戦争期には
東京府荏原(えはら)郡世田ヶ谷村経堂在家
大正8年に町になって
東京府荏原郡世田ヶ谷町大字経堂在家